じゅぁきのディープゾーン

NEWSからみた、一般的な生き方をしてる疑問点などを提起したり、逆に考えた結果など。 ちなみに文章になるとかたくなるのは、年齢的なもの?(笑)。

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盲点の発想だった

【正論】精神科医 和田秀樹 集団犯罪の一層の厳罰化を

久し振りに衝撃的な発想の記事をみた。
自分にはまさに盲点となっていたが、なるほど言われてみればその通り。
厳罰化がいいか悪いかは、徳を持って教育するのか、法律のみで対応するのかという点がからむため、安易な決め方はできないが、早急に必要な要素として、集団だから殺意が認められないというところは改めるべき事だろう。

私のように古い価値観も未だ持ちえている者は
一人でできる事の美学
がある。

昔は集団で行動することが「情けない」というものだった。
逆に、大きな悪に立ち向かう時、一人の力は弱いけど、協力して立ち向かうのは「勇気」だった。
勧善懲悪だった昔の話である。

ただ、どんな理由であれ集団で一人をおいつめるのは「悪」であるという価値観は今は存在していないに等しい。
例えば、遅刻をした人がいると、自分のことはそっちのけで、遅刻してない人同士で「遅刻はいけない」と攻め立てるケースがあるという。
つまり”自分の正義に於いて、反するものを律したい”欲求があるという事だ。

イジメもこの延長で行われるようで、どうやら
「自分の価値観を共有できそうな人同士で集まり、それに合わない、もしくは”乗り遅れた者”を自分達の理屈で律する」
というように感じる。
最近のイジメ番組などの教授などの意見は言わないが、子供達の声を聞くたびにそう思えている。

さて、最近の傾向で私が一番危惧してるしてるのは、情報社会における子供の無防備さと、新たな価値観構築を”やらない”人が増えた点。
ちょっとこちらのやりとりをしたBLOGを見て欲しい。
「反骨」的に言いますと「女だから・・・」に疑問アリ!?

こちらはいつもお世話になっているN.MiuraさんのBLOGです。
こちらでコメントさせていただいた私のところですが、

TV、新聞、ネットは心が見えない情報という事を忘れている人が多いようです。
自分の価値観も構成できないまま大きくなり、与えられた情報を自分で消化・加工せずに「持つ」。
だからすぐに他人の責任にしてしまう。


実はこれって本当に強く感じています。
こういった事が下地にあるから

自分と共有できる人間がネットで簡単にみつかる。だったら集めて集団化しよう!

という発想がでてくる傾向があるのかもしれないと考えた。

さらにその下地を正論では述べている。
つまり学校などの狭いケースでもすでに集団化による理性を超えた悪質な行動である。

教育の根本的な目的は、子供により豊かな未来を築く土台を与えることがあるはずだが、そういった目的は今はないのだろうか?
心で会話をしてくれる教師はいなくなったのであろうか?
いつのまに私達は、過去の素晴らしい価値観を捨てたのか?
いや、これはきっと違い、過去の素晴らしくない価値観として扱われたからだろう。

多種多様な価値観を認めるには、あまりに日本人は未熟なのではないだろうか?
まだまだお上がひっぱって教育をしていく必要があるように思う。
そうしないと愛国心って”言葉”だけを教えているだけにすぎない。
言葉も大事だが、そこに心はあるのか?

こういった事を考えないと、この集団化現象は増える一方と思う。
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  1. 2007/10/05(金) 11:48:07|
  2. 教育|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント:2
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コメント

TBで飛んできました

じゅぁきさんから、私のところのブログにコメントいただいた内容に「ハッ」とさせられました。情報を自分で消化できずに「借り物」のまま持って、都合が悪くなると「他人の責任」にするというのはズルイ事だと思います。間違えているかもしれないけれど、しっかりと「自分の物」にしないと、心が育っていかないのかもしれません。

私は、「みんな」という言葉は、ほどほどにと思っております。「みんな」というのは時として「隠れ蓑」になってしまうからです。

強力な難敵には「みんな」の力を結集して対抗する必要も時にはあります。しかし、その「みんな」は一人ひとりの「意思」の結集であると思います。自己の責任を「みんな」でカモフラージュするような気持ちでは、難敵に立ち向かう事はできないと思います。
  1. 2007/10/05(金) 18:09:12 |
  2. URL |
  3. N.Miura #-
  4. [ 編集]

N.Miuraさん、ありがとうございます!

>私は、「みんな」という言葉は、ほどほどにと思っております。「みんな」というのは時として「隠れ蓑」になってしまうからです。
これって、私は無意識に使っているのですが、文章ではあまり書かないようです。
どこかで「みんな」という便利な言葉は使わないようにしてるみたいです^^;;。

確かに言葉で便利なものはいくつかあります。
が、反面、誤解を招きやすい言葉もあります。

>間違えているかもしれないけれど、しっかりと「自分の物」にしないと、心が育っていかないのかもしれません。
本当に個人的にですが、取り返しの聞く失敗はしてもいいと思います。
全て失敗なし、むしくは失敗が結果論でよくなる人は確実にいますが、ほんの一握りで選ばれた人です。
普通は都合よく失敗が成功になりません。

しかし、子供のうちに「何故失敗したか?」「それが社会性にどんな影響を与えるのか?」というのを考える事を身につけるのは大切だと思うんです。

これは人から与えられるものではなく、自己の価値観によってのみ育まれると信じています。
  1. 2007/10/09(火) 15:36:29 |
  2. URL |
  3. じゅぁき #-
  4. [ 編集]

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