じゅぁきのディープゾーン

NEWSからみた、一般的な生き方をしてる疑問点などを提起したり、逆に考えた結果など。 ちなみに文章になるとかたくなるのは、年齢的なもの?(笑)。

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戦争を考える

【産経抄】8月6日

今日はいったい何の日?
といわれ「地震か何か?」
と答えた渋谷の若者?

でも、たぶん咄嗟の事で思いつかなかっただけじゃない?
と、一応フォローしておこう(笑)。
本当に知らないといしたら、お気楽なことだし、ある意味日本の平和の象徴の一つだろう。

さて、今日は広島に原爆が投下され、9日は長崎に投下された。
これをもって終戦へと加速し、無条件降伏へと流れていくわけだが・・・。

諸説云々は人々の迷いの元であり、原爆投下の是非は立場が違えばいろいろ意見はあるだろうが、もっと根源的なことでいえば「戦争」というのは是か非かという問題は何故でないのだろうか?

表向き戦争は”悪”とされている。しかも「必要悪」というのが一般化してないだろうか?
個人的に感じた今の日本の立場である。

ちなみに私は護憲派ではなく改憲派であって、社会党や共産党のような盲目さはない。
だからこそ戦争という二文字が持つ魔力を考える必要があると思っている。

話を元に戻そう。
戦争は必要悪と感じてる人が多いと思う根拠は
「戦争はしたくないけど、でも攻撃されたら戦争するしかないじゃん」
という回答が目立つというのがある。
また、これによってアメリカの先制攻撃論もそうだ!っていう人までいる。

確かに防衛という面で戦争をしかけられたら、手をこまねいて全滅待ちなんて国はありえない。
何らかの方法で、特に武力によって「応戦」は必須だろう。
しかし、これって戦争する要因に触れないで賛成ってこと?

と思ってみると、どうもそうではない。
外交努力によって回避できるものはするが、努力もむなしく回避できない場合がある、絶対にそういった事は起こりうるという前提なんだそうだ。

すなわち防衛という立場で戦争は必ず起こる
という事から必要悪なんだそうだ。
でもこれって何か納得いかないのは歳のせいなんだろうか?
必要悪というのは、悪い事でも黙認せざるを得ない罪が存在することである。
という事は防衛は悪なの??
という疑問が一つ。

では、防衛の一環として先制攻撃が許されるか?
という事に関しては、どうやら半々のようで、攻撃が先に立つ事に反対する人も多い。

いったいこれはどういった事なのだろうか?
非常に難しい事を考えすぎているのだろうか?
自分の中で靄が心を包んでいるような錯覚を起こすのはなんでだろうか?

そこで、ふと思ったこと。
私も日教組サヨク的授業、戦争は「いけない」ことという表現。
そもそもこれが原因ではないだろうか?
つまり、戦争に対して”嫌悪”して思考を止めてなかったか?
という事である。

そもそも戦争で自分達が無傷で、相手にダメージだけ与えるものは少なくとも現実ではありえない。双方に犠牲者がでる事は確実だろう。
しかし、日本は先制攻撃も含めて、基本的に攻撃から考える戦争はしないうと憲法ではうたっている。
自衛も認めてない憲法はさすがにどうかと思うが、攻撃から開始する戦争はしないというところは評価に値すると思う。

つまり「戦争」には二種類あるということだ。
日本に攻撃された事に迎撃するものと、日本から何らかの目的を持って攻撃するもの
というふうに考えられる。

さて、じゃ戦争は迎撃はいいけど、攻撃はダメな場合に考えるのは、迎撃するまでの犠牲だ。
攻撃ができない以上、日本で犠牲者が出ない限り迎撃できない現実がある。
MDも今後はよくなっていくだろうが、そのディフェンスをかいくぐるミサイルが開発されるだろうから、いたちごっこだろう。
”高い確率”で迎撃するまでの間に犠牲者を減らす努力は必要だが、果たしてそれでよいのだろうか?

例えば、戦争は基本的に相手に宣誓する事になっている。が、必ずしも守られるものではない。
日本も誤解や業務ミスから「結果的に」宣誓しない戦争を始めた。
ここは明確なものがないので、アメリカからみた結果的という表現です。
どんな理由があろうと、日本は”結果的に”宣誓してない。これは事実である。

これと同じ事が日本だってされる可能性はある。だとするならば、どう考えても攻撃できない事は犠牲者がでるという事だ。
しかし、待ってでた犠牲と攻撃ででた犠牲は違うからとか言う人もいるだろう。
でも、どちらも死んだものは帰ってこないのですが・・・。

そもそも、何故戦争がなくならないのか?
そこに矛盾点があり、だから防衛なのに戦争を必要悪ととらえたり、嫌悪するようにして「自己のアイデンティティ」を崩壊させないようにしてるのではないだろうか?

戦争というのは一人では当たり前だができない。相手いることであり、複数の関係から起こる事だ。
そして、互いの素手勝負ではなく、武器によって戦うものが戦争だろう。

例えば、国を一人のからだと考えた場合に、外交努力というのは各種武術で体を鍛える事に相当し、戦争は武器で戦うようなものだろう。
情報戦は戦う上での駆け引きであろうと思う。

どんなに武術に秀でてても、袋小路でマシンガンぶっ放されたらほぼ終わりだろう。
マンガでは超人的な跳躍やスピードでかわすが、実際にそんな人はいないし、仮にいたとしても、日本の外交力がその”超人的”域に達してないのは明白だろう。

つまり武器同士の戦いに備えていない国、日本。
そのくせ戦争を嫌悪する日本。
防衛を悪ととらえるしかできない日本。

本当にこれでいいのだろうか?
アメリカのポチでもいいが、植民地ではないと言えるのだろうか?
国という本質はどこにあるのだろうか?

教え込む教育ではなく、それを”考えさせる”教育が今後は必要なんではないだろうか?

ここまで読んでもらって、「オチなしかい!!」とお怒りの方もいるだろうけど、これは40年近く生きてきて答えがまだ見つかっていない。
自分も防衛はいたしかたないと思いつつ、じゃ自分が軍隊に入るか? 将来子供が軍隊に入りたいと言った時に賛成できるのか?
甚だ疑問である。

だから戦争をいうものを考える必要を感じている。
オチなしは大変失礼と思いつつ書いてみた。

答えは各自で持ってもらえれば、そこからスタートなんだと思う。
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  1. 2007/08/06(月) 14:20:24|
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