じゅぁきのディープゾーン

NEWSからみた、一般的な生き方をしてる疑問点などを提起したり、逆に考えた結果など。 ちなみに文章になるとかたくなるのは、年齢的なもの?(笑)。

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i5のjava 5722jv1 opt8が動かない

現在、i5についてくる「5722JV1 opt8」、32bit jdk1.5、通称J9が全く動きません。
とりあえずR540のみでSF99291 Lv12をあてるとダメになります。
ちなみに「java -version」でJVMが起動すらしない事態です。

これにともなってi5のWASに関して同様なトラブルが発生中・・・。
しかもupdate処理がいつのまにかJ9が優先されてしまい、updateができないというトラブルが発生中。

スクリプトを変えてopt7で動かすこともできますが、確実なのはopt8の削除ですね。
WAS6.1においてパフォーマンスの観点でJ9を使いたいという事はあると思いますが、今はやらないというかできない感じです。

一応回避策はあるようなのですが、うちはJ9を削除する事にしました。
だって、adminもあがらないんだものorz。
adminもJ9優先に変わっているようです。

一応問い合わせをすると累積7282とLv12をあてて、さらにOSの出荷時期にもよるそうです。
なのでopt8を削除する方向に決まりました。

今までのASではありえんよぉぉぉ(;>ω<)/

嘆いていてもしかたないですけどね(笑)。
いろいろ絡んでの問題なので削除という決定は妥当のような気がします。

どうやら問題としての認識は高いようなので意外に早く修正されると思うのですが、こればっかりはわかりません。
できるだけ早くと願うこの頃、取り急ぎ報告でした。

最後に、WAS6.0.2.23からupdateはinstallerがWAS6.1と共通になっております。
よってupdateはWAS6.0でも現象がでますから、削除する方が無難かと思われます^^/

-------------------------------------------------------------------
検索文字列 i5 AS R540 J9 WAS6.1 WAS6.0 update

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  1. 2008/01/30(水) 14:40:32|
  2. i5関連|
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ピクニックもできる富士見台公園

今日は駐車場付きで、さらにピクニック広場もある富士見台公園を紹介します。

富士見台公園全景


この公園は散歩道もあり、また広場の名前がその名も「ピクニック広場」があります。
また、通常の公園としても下の写真のような遊具もあります。
公園の遊具


広場の他にはダンボールで滑れるくらいの傾斜のあるくさっぱらがあり、ソリを使って滑ってる子供達もいました。

ただ、この公園は非常に時間が短く、9~17時です。
時間

なので朝早くでましょうね!(笑)

さて、場所は柚木なのですが、住所がよくわからないうえ、駐車場が非常にみつかりにくい。
駐車場の前には小学校か中学校あるようです。
とりあえず、地図的に
富士見台公園
こんな感じで、前にあるのは中学校でした。

この公園はなんといっても遊具ですかね?
とりあえず2歳半の子供にとってですけど、滑り台がなかなか面白いのと、ちょっとしたアスレチック気分が味わえるところですね。
もうちょっと大きくなればダンボールやソリが面白くなると思うのですが(笑)。

また、散歩すると子供は疲れて夜寝てくれますが、大人は帰宅すると疲れがでますので要注意!!!^^;;。
それは坂が多いからということですかね・・・。
とにかく登る、登る、のぼる・・・^^;;。
なので、子供は本当にいい運動になり、それにつられてはしゃぐと大人は筋肉痛になること間違いない♪

ただ砂場がやっぱりないので、砂場が好きな子供を持ってる場合は、ここから上柚木公園第一まではくるまで10分弱ですからはしごして下さい。
うちは、えぇ、はしごですよ(笑)。

比較的季節がよければ家族でお弁当を持ってきて、日がな一日遊べるところだと思います。
そんなわけで、結構おすすめの公園でした。

ちなみに、砂場とブランコと広場が一緒の公園を探してますけど、ないもんなんですよねぇ(笑)、有料しか(爆)。

  1. 2008/01/21(月) 19:38:46|
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医療というものについて思うこと

【主張】肝炎基本合意 「行政の立場」を考え直せ

まず和解までこぎつけ、長い年月、病気と裁判を闘った方々におめでとうと言いたいと思います。

さて、今回の和解のケースは基本的に「医療被害」の認定を得られた人で、特にフェブリノゲンという”薬剤”に限っている。
実際問題、この薬剤投与による感染者の注射の使いまわしなどは除外されている。

果てさて、これが問題かどうかは私にはわからない。
というのも、確定が難しいからであり、今回は少なくとも薬剤投与という”事実”に基づく話であるからここまで辿りつけたような気もする。

ただ、稀有の問題点は次のページで詳細に語られている。
将来の「前例」となることを忘れずに

もっと大きく視点をずらして、「医療」というもので考えてみよう。
日本の医師の問題は
1.手術失敗したものから医師免許の剥奪をしない
2.余分な薬を与えてお金儲け、付随して入院等も
3.日本医師会による多種多様な通告
4.現場主義から遠ざかってる現実
これとは別に、
1.産科、小児科の不足
2.救急の病院不足
などの不足事項がある。

さらに製薬会社にいたっては
1.天下り
2.外国の製剤輸入の実情
3.病院との癒着
があり、実は医療をとりまく日本の現状は決して明るくない。

セカンドオピニオンどころかフォース、フィフスくらい将来必要かもしれない・・・。
医療費がかさむ状態が目に見えてくる。

そんな実情から生まれた薬害C型肝炎問題。
これが和解しただけでいいとは誰も思っていないだろうし、実際問題山積した案件をどのようにしていくのか?
将来のヴィジョンは無きに等しい。

もっと追い討ちをかけると、難病として扱われる件数の少なさに愕然とします。
つまり、日本の医療というのは実際は「お金持ち」しか受けられない仕組みになりつつあり、また信頼置ける手術をする医師は高額な病院にいる傾向が強くなっていく。

前回のエントリでも”飲酒”から視点を見るのではなく、交通事故の死亡の観点からみる事を考えた。
今回も同様な視点で考えたい。
つまり「病気」という観点で見た時にこの問題はどう扱われるべきなのか?
という視点である。

本来の医療のあるべき姿というのはいったいどういった事になるのか?
これが意外に難しいと思う。
というのも、もし国が負担を大きくするならば税金という事になり、当たり前だが消費税が30%台で、且つ、今の所得税を増税するという事になる。
しかし、それでもいいという人もいるだろう。

逆に、そんなに医療にかからないから税金を安くして欲しいという事もあるだろうし、はっきりとしたヴィジョンは正直持てないと思う。

では現状から考えると、3割負担というのは妥当なのだろうか?
基本的に私は妥当だと思えるし、微々たるものでも高額医療控除があるのはいいと思う。
ただ、問題は医師と製薬会社、官僚の問題として考えられないだろうか?
という視点に立てば、やはり日本医師会が高い壁になる。

少なくとも医師免許を持つ以上は手術のレベルは一定以上ないといけないと思う。
もしそうでないならば再取得をする事を義務付け、その間は剥奪というシステムが必要だろう。
こういった医師のレベルに関しては日本医師会がネックなのはわかっていただけるだろう。

製薬会社に関しては「輸入の製剤」に関して、何故このような事態になったのかを考える必要があるだろう。
薬害エイズの時も今回もすでにアメリカでは禁止していた製剤が何故か日本では可能なところがポイントだと思う。
あくまで仮説であり、次に書く事は想像でしかない。が、的をはずしているかどうかはわからないが、一応かく。


そもそも輸入の製剤が世界で禁止されていても日本で販売、適用可能な理由は、輸入もとの製剤会社の在庫処分を日本に強要してると思われる。
自給率も軍事力もない日本にとって、アメリカの経済に打撃を与える事はできない。
よって、在庫処分を言い渡す。
だから官僚は製剤の許可を出すしかない。

また、別の見方をすると、官僚は在庫処分を申し出てお金をもらっていた可能性ある。


再度言うが、これは想像であり、実情は不明である。

いずれにしても日本は在庫処分の場所である事に変わりはないように思える。しかも高度に政治的な立場で。
今回は在庫がなくなってきて情報が出てきたと思うのは私だけであろうか?

再発を防ぐ手段は、単純な事でいえばアメリカで禁止されたものはそくざに禁止という業務を増やせばよい。
日本医師会はこれを反対するのであれば、どういった論理が出てくるか楽しみであるが(笑)。
たったこれだけで再発は防げるのである。

また、もうちょっと大きな話になるが、医療の最先端はやはり海外であり、国内ではない。
しかし手術の技術は決して海外に引けをとらない先生が数多くいることも事実である。
という事は、日本は医療の研究に関して遅れている事になり、その予算を増やさない限り病気になったときに恩恵を受けられない。

やはり医療は問題が山積みであり、かつ難儀な論議をしなければならない。
すべてを解決する方法をぜひ国会議員の皆様方に切にお願いしたい。

  1. 2008/01/16(水) 15:50:56|
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裁判と法律と感情論と・・・。

3幼児死亡事故判決 「妥当」「世論を無視」 分かれる評価

まずは、個人的感情論からいうと、今回の判決は絶対に納得いかない。
悪質な事が正常に扱われるという司法の判断が果たしてよいのか?
と、疑問を投げかける。

一方、裁判官の苦慮と司法と現実のずれもまた感じた。
今回は珍しく裁判官の言った事をほぼ全部読み上げた番組があり、それを聞いた限りでは詭弁ぎりぎりとわかっていながら、”しかたない”という判断をしたように思えた。

最近は司法に一般人がかかわれる制度つくりが進んでいる。
ならば、私達は常に誰かを「裁かなければならない」ところに来ているという”自覚”が必要だろう。

そういったもろもろの事を考慮し、また、この裁判を通して何が足りないのかを考える必要があると思った次第です。

では、そもそも危険運転致死傷罪はどうしてできあがったのか?
これは1996年に起きた高速道路の飲酒した運転手のトラックが、ファミリーカーに激突し炎上、このとき後部座席に子供が二人亡くなった。
しかし、当時は業務上過失致死の最高刑4年が限界だったため、あまりに法律が”軽すぎる”という事からこの法案は生まれた。

しかし、この法案が定義している酩酊状態による正常な判断をできないのに運転というのがハードルを高くしている。
具体的な事は一切なく、状況証拠を積み重ねて酩酊状態且つ正常な判断ができない証明することが必要というのはどうなんだろうか?

つまり、今回のケースで言えば悪質な行為として
1.逃げる際に細い路地で一切ぶつけていない
2.水1ℓ飲んで飲酒のレベルを下げる
3.身代わりを頼んでいる
という行為が正常な判断ができ、運転できない酩酊状態という事ではないという。

先に書くが、この判決は”不服”であり、認めてはいない。
が、もうちょっと冷静に考えたいので、不服でありながらも違う事を書くのはご了承願いたい。

確かに酔っていて、酩酊という定義からすると犯人は違うと私も言わざるを得ない。
俗にいうベロンベロンとは違うなと思う。
もしこれが、子供が乗っていなく、さらに夫婦が助かっているのであれば果たしてここまで騒ぎになっているのか疑問がある。
さらに滑車をかけたのが公務員という事もあるだろう。
よって、犯人の弁護をする方からみれば今回の判決は法にのっとった妥当な判決となってしまうのである。

また、最高裁ではない地裁という立場もあるのだろう。
公務員だからというのはちょっと穿っていると思うが、法律は結果をみない。
経過においてどうだったが非常に重要になっている。
例えば殺人は殺意が必要で、密室の故意を証明するのは非常に難しいとされている。
今回も同じように子供が3人死亡という事実より、運転時に重要度が置かれている。
こういった状況のなか地裁が危険運転致死傷罪を果たしてできるのだろうか?
私はできないと思う。
つまり裁判官の責任というより、法案自体の欠陥をまず指摘したい。
ここまで考えて裁判官のものを読むと、やっぱり苦渋の決断と思ってしまったのです。
人がいいのかもしれませんが^^;;。

では、法案のどこに欠陥があるのだろうか?
私は以下のように考えています。
1.罪を累計できないという点
2.経緯にばかり固執し、結果を重視できない点
3.交通事故のトータル的な法律がない点
以上が欠陥の部品だと思う。
実際はすべてをクリアして欲しい内容だけど、まぁ現実的には無理なので、一つ一つを考えたい。

1.累計できない
これは次に紹介するページにて非常に簡潔にわかりやすくかかれいているので見て欲しい。
量刑加算方式にすれば?
まさに書かれている通りで、累計加算にしただけでも今回のケースはかなり重くなるはず。

ただ問題は交通事故に限らず、すべての犯罪に対して累計加算が可能かどうかがかかわってきます。
個人的には「可能にして」欲しいところです。
この場合はかなり具体的なケースを想定し、その想定に一定の刑期が決まってないとできない。
よって、改正という事よりも法体系の改革なので現実的ではないかもしれません。

でも、でも、平行して議論して欲しいないようです。

ただ、特例の判決として次に紹介するところ
名高裁での一審破棄の例もある
これに期待は持てると願い、いや祈りですかね?・・・。そうなって欲しいと思います。

2.結果が重視されない
現状でこんれの打破が陪審員制度という位置づけですね。ただ、本当にそれでいいのか?
これも法律の考え方や、法律そのものを考えると何年も議論が必要になり、検事・弁護士共に大変な改革が必要になるでしょう。
結局現実論にはならない。

3.交通事故のトータル的な法律がない
そこで自分が考えたのは以下のような法律です。
交通事故で死亡者がでた場合はいかなる理由を問わず、この法律が基準となる。

1.死亡者が一人で場合、刑期3年、二人5年、三人15年、以下一人につき5年
2.逃亡を図った場合 +15年
3.飲酒が認められる場合 酒気帯 +3年 飲酒+10年 酩酊+15年
4.証拠隠滅が証明された場合 +10年
5.事故後すぐに警察に連絡し、事故現場に残った場合 -2年
等々・・・

まぁ、年数はすみませんいい加減な数値ですが、ようは交通事故の場合は罪を想定しやすく、その法案に中でなら累計は可能なはずです。
そういう法律にすればいいはずですから。

これならば悪質なほど罪が重くなり、結果も重視され、裁判もスピーディになると思います。
現在ある法律に頼りすぎ、また飲酒のみに目が向きすぎているのでは?と疑問を感じました。
あくまで適当な数値ですが、今回の場合は3人、逃亡、酒気帯、隠滅の合計で
15+15+3+10=43
つまり求刑が43年となり、個人的には死刑が妥当と思いますが、43年ならば、まぁまだしかたないとあきらめられる年数だと思います。

このような法案の場合、飲酒の部分はあくまで付属であるため、車の運転じたいの適用です。
飲酒してないけど事故で亡くなる方もいらっしゃると思うんです。報道されてないだけで。

私の案が浅はかなのか、それとも妙案なのかはわかりません。
ただ、一つの案として議論していただけるような事を書いたつもりです。
どうでしょうか?

  1. 2008/01/09(水) 16:53:04|
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数学はコミュニケーションツール

新年一発目はとりあえず持論を書いてみます(笑)。

最近はあまり耳にしなくなった、「数学は社会に出て使わない」という発想。
もしかして勉強の理解が深まった?
と、思ったら違うようです。
あまり大人が言うと、子供が”必要ない”と刷り込まれてしまうため蓋をしたようです。
はぁ・・・。

学校の勉強というのは成績と社会性の二種類があると思うのですが、実際どうなんでしょうか?
親がかかわり過ぎたり、過去にはPTAが変な権力持ったり、有力者(政治家など)が学校に過干渉したりしてるので、もしかして学校というものをきちんと定義しないといけない時代になりつつあるのかもしれません。

さて、成績方面で言えば、「何故勉強するの?」と子供って聞いてくると思うんですが、それに答えられる人って意外に少ないんですよね。
これって、自分で考えた答えが正解であり、私が正解ではないんです。
つまり、どう子供に伝えるかをきちっと答えてあげて欲しいだけなんです。
だから、人の意見も参考にしたいけど、答えてもらえない。
で、じゃ自分はどうなん?って聞かれて答えると批判ばかりしたがる。
特に過去、ネットの某巨大掲示板の教育で一時期話したけど、ただ評論したい人の集まりで参考意見が聞けなかった。
2chではないので、あしからず^^;;。

では私は数学は何の役に立つのか?
学生の頃から考えていました。
おかしい? おかしいかな? おかしいか・・・。
確か高校くらいかな?

数学って何に役立つのか疑問でした。
というのも、自分が数学好きなもので、これってこのまま勉強して何に役立つのか不思議に感じたのです。
はい、変わり者です(笑)。
自分でもそう思っていましたから^^;;。

これがなかなか見つからない答えでした。
当たり前で、学生時代に答えがみつかるなら小学生で理解できますからね^^;;。
実際に社会にでて、数年たった時にふと気がつきました。
というのも、会う人、会う人、「理系人間」と私を評します。
また、自分でも「あぁ、なんて自分は理系なんだろう」と思うこともしばしば(笑)。

そこで、いろいろな出会いから考えるに、きっと自分に数学好きと理系人間とは関連性があるのではないだろうか?
一般的に言われている理系人間と自分は言われ方、ニュアンスとでもいうのかが違うような気がしたんです。

そもそも数学の勉強における方法というのは「暗記」が一般的です。
確かにそれは有用で、かつ試験には役立ちます。
しかし、それが通用するのはせいぜい中学までで、それ以降の数学では暗記だけではできません。
では、どうすればよいのか?

1.基本規則である”決定事項”は暗記
2.決定事項を元に論理展開する「方法」のコツを覚える
3.問題の本質を見抜き、1.2.を駆使して答えを導きだす

この方法で数学を勉強すれば驚くほど成績は伸びると思います。
例えば掛け算、割り算って本来は必要がない事をご存知の人いますか?
そもそも+、-だけで整数はいいんです。
じゃ、なんで×、÷が必要になったか?
ここに歴史があり、納得すれば次回からは本質を見抜ける力がつくわけです。

答えを書いておきますが、考えてから反転させて合わせてみてください

足し算というのは、数をたしていく。
例えば 1+1=2 2+2=4 というようになっています。
この場合、足し算が一回ですからいいのですが、もっとたす場合などに不便です。
例「八百屋に買い物に行き、おさらに二つのってるりんごを5つ買いました。さてリンゴは何個?」
普通に私達は”2×5=10”としますが、どうしてこうなっているのでしょうか?
これは「2+2+2+2+2=10」と同様なんです。
つまり、同じ数の繰り返し足すのを便宜的に表すのに”×”を使います。

逆に割り算は引いて行くわけです。
例「10個のリンゴを3人で食べます。あまりはいくつでしょうか?」
普通は”10÷3=3...1”という事から1つ余りです。
これって実は「10-3-3-3=1」という意味なんです。

×も÷も便宜上の記号だったにすぎません。
しかし、これをルールとして用いないと数学の発展がなかったから”四則演算”となった。


これを元に数字がわからない場合にaやbを使って方程式になり、いろいろ数学(この場合は幾何学と代数学)が発展しました。
こういった事を次々繰り返していくと、ものごとの現象には必ず本質があり、その本質を使えば答えが見えてくることを学びます。

さらに、数学では絶対的に決まった法則が存在します。ユークリッド幾何学は5原則。
そこに待ったをかけたガウスの曲面理論など。
このあたりは人間模様があり、歴史物語としても面白いのですが、話がそれるので割愛。

つまり規則があり、それを駆使して回答を見つける。その過程で本質を見抜く。
これが数学の勉強であり、かつ、数学を学ぶ意味になります。

では、これがなぜコミュニケーションツールなのでしょうか?
人の心は記号化できませんよね?
確かに記号化できないと私も思いますし、数学好きな人でもさすがにいないと思いますが、中には数学的でない人の心が嫌いな人はいます。私ではありませんが(笑)。

そもそも日本語に限らず、言葉と言うのは約束された文字と並びがあり、お互いにそれを理解したうえで話すから相手に意思が通じます。
日本語と英語ではこの伝え方が違うから、二つの規則と文字の並び(単語も熟語も含めて)を覚えます。
よって、日本人は日本語を理解してる前提のため、共通認識にたち理解しあってるわけです。
逆に、その規則を逆手にとって、勘違いやハプニングを演出してるのがお笑いです。

ただ、言葉や文字と言うのは記号ですからある程度共通化して同じ意味で使います。
しかし、実際には同じ言葉で話しても通じる人、通じない人がいます。
ここが数学との違いです。
ならば、言葉の持ち本質ではなく、相手の思考の本質をしればより理解できると思うわけです。

私は数学を「コミュニケーションツール」と言って、決してコミュケーション上達とはいいません。
ツールは使いこなせるほど便利なものですが、使えない場合はただのゴミです。
よって、数学を勉強してツールを使いこなすために学校に行くわけです。
その使い方を学ぶ、これは成績ではなく社会性の勉強となります。

これは相手を思いやる気持ち、理解しようとする気持ち、受け入れようとする気持ちなどにも通じ、決して数学的だから人として欠けているわけではないのです。
物事の本質を見極め、相手の立場を想像し、その時に的確な判断をし、結果よい方向に進む。
そのための勉強であるのが数学だと私は考えます。

実際にこのツールを駆使して今に至る自分の人生は決して間違ってなかったと思いますし、未来を予想して、選択肢を作り、「自分で決定」してきてます。
だから後悔はほとんどありませんし、特に社会人になってからは一回だけで、ほとんどが学生時代に失敗をした事で、じゃっかん後悔しております。
まぁ、若気の至りなんですけどね^^;;。

長くなってしまいましたが、説明不足だったり、言葉足らずで理解しにくいかもしれませんが、意図を汲み取っていただければ幸いです。
そして、会話を楽しむには相手を理解してあげることが第一歩です。
それをしなくてもできる人はいますが、仕事ではそうはいきません。

以上、持論でした^^/

  1. 2008/01/08(火) 11:45:28|
  2. 教育|
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明けましておめでとうございます。

去年は年末まで風邪で調子が悪く、結局風邪も年越ししました(笑)。
まぁ、動けないほどではないため大丈夫なのですが^^;;。

今年は、今の仕事が3月末というのが決定してます。
4,5月でじっくりと転職先を見つけたいないと思っています。

さて、子育てや政治を中心に書いてきました。
はい、今年も変わらず世間に突っ込み、子育てに役立てていただければと存じます。
特に目標を持たずに、飄々と生きる!
これがあえて言うなら目標です(笑)。

また新しいテーマとして「公園」を立てたこともあり、府中や八王子を中心にアップして行きたいと思います。
今後は更新が滞ることないように頑張ります。
少なくとも週1は確保したいと思います。

本年もよろしくお願いいたします。

  1. 2008/01/04(金) 10:44:57|
  2. 小言|
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