じゅぁきのディープゾーン

NEWSからみた、一般的な生き方をしてる疑問点などを提起したり、逆に考えた結果など。 ちなみに文章になるとかたくなるのは、年齢的なもの?(笑)。

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無事出産しました!

10/25に3006gと平均的な体重、身長の「男の子」が無事、出産いたしました^^/。

上の子の時には緊急手術で、その後未熟児で大変なことになったので、今度は本当に無事に五体満足であればと思っていました。
ただ、前に書いた通り、障害をもつ可能性はありましたらから、それはそれとして覚悟もありましたけど・・・。

おかげさまで、元気な子供を授かり夫婦として喜びを噛締めております。
上の子は結構赤ちゃんかえりして、かみさんを要求してますが、あきらめたのか、今日当たりからあまりいわなくなりました。

また、これから一週間はかみさんは入院、その後かみさんの実家に赤ちゃんと暮らすため、上の子は私の実家で一緒にくらします。
なので、会社にまたお休みをいただきながらかみさんのところに子供と往復の日々です(笑)。

今日は家に戻り、掃除とお風呂の掃除です。
水場はカビが出やすいですからね、カビキラーで^^;;。
その他にPCにたまったメールの処理などしてました。

これからオムツを買って帰ります。
うちの両親が子供を連れて今日はかみさんのところに行ってます。

もしきにしている人もいるかと、取り急ぎ書いてみました。
明日からは会社に行きます。
それらのスーツも運ばないと(笑)。

とても大きな泣き声で、元気一杯な赤ちゃんです!

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  1. 2007/10/28(日) 16:02:30|
  2. 子育て|
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約二週間ほど

来週の木曜日にとうとう二人目が生まれます!

ただ、妻の容態の関係で来週一週間は会社を休む事になりました。
よって、しばらく更新が途絶えます。
また、再来週から仕事復帰の予定ですが、仕事に集中する必要もあるため、次の更新は基本的に来月にしようと思っています。

検索などで来ていただいた方は申し訳ございませんが、また遊びに来て下さい^^/。

  1. 2007/10/19(金) 12:40:59|
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【浮世離れ】我が子の言葉の悪さ

「そんなの関係ねぇ~」「欧米か?」「ちゃらちゃっちゃちゃらら~」などお笑いの人の影響はすっかりうける我が子の成長はなんともいえず(笑)。

まぁ、これはしかたないにしても
「お前は」「いいんだよ」「○○じゃない!!」「しょうがないなぁ・・・」等の口の悪い言葉も連発するこの頃。
たぶん、俺やかみさんが使っているんだと思うんだけど。

それ以外にもジジやババの言葉も憶えるらしく、悪い言葉以外にもいろいろ憶える。
成長という意味ではいいのだが、やっぱりある程度の節制は必要かと思う毎日、いつ自分が使ってるのか意識してないからさっぱりわからない。
もっとも、多少の口の悪さはしかたない。
今後は目上の人をきちんと立てる言葉を憶えて使い分けができればと、一応思っているけど・・・、不安だなぁ(笑)。

来週には第二子が産まれるので、予定がいっぱいになりつつある今、我が子は母親がとられるのではないかという不安をいっぱいに抵抗を試みており、それが結構負担なわけです。

こちらとしては、かみさんに負担をかけたくないので、子供の面倒はなるべくみたいが、それを子供が拒否る。
お風呂、着替え、オムツ替えなどなど・・・。
私のところに来るのはお外に遊びに行こう!!と、室内での遊びだけ。
さすがに激しい遊びはかみさんではできないと思っているのだろう。

ま、誰でも通る道ということで、いろいろやってますが、結構ストレスが溜まるね・・・。
かみさんも大変だと思うからこそなんとか我慢できるけど。
そうじゃなかったら無理だわ実際^^;;。
子育てが簡単ではないとわかっていても、感情の制御が非常に難しい。

先日もとうとう怒鳴ってしまった。
怒鳴った事は本当に悪いなと思うけど、こちらもいっぱいいっぱいになってしまった。
子供は一向にかみさんにしか行かないし、それで可哀相だからと折れちゃうし、まわりは子供におねえちゃんになるからと無責任に言っちゃうし・・・。
いい加減にしろと、俺に何をしろと。
別に子供が泣いてるのを無理にお風呂入れてもいいけど、それはという感じだし、こっちもかみさんの負担を減らして、自分が入れたいということもあって、食事もせずに帰ってきてるのにと。

だけど、どなっちゃいけないね、どんな理由があろうと・・・。
トラウマになってお風呂嫌いになったらもともこもないし。
幸い、かみさんとなら入るからいいけど・・・。


まだまだ親として未熟ですよorz。
頑張らにゃね!!

  1. 2007/10/17(水) 13:55:44|
  2. 子育て|
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ネットは道具である

【コラム・断】匿名で中傷のたれ流し

コンピュータは道具である

私は一貫してこの言葉を使い続けている。
何を当たり前のと思う人はいるかもしれないが、現実的にネットに接続せずに3,4年過ごせるだろうか?
すでにブログを書いたり見たりしてる人にとって、ネットはコミュニティの場でもあり、また匿名性を利用しようとする人の巣窟になりつつある。

そもそも道具というのは何かを成し遂げる目的で”簡潔にできうる方法の提供”や”熟練の技術によって達しえるためのもの”であったりする。
そう、例えば前者は電報などはそうだった。
手紙では時間もかかるし、急ぎの時に伝えたい事が伝えられない。
よって電報なるものが登場した。
これにかわり、「個人の電報」とでも言うべきポケベル、さらに発展して携帯電話だ。
「伝える」という手段を、よりリアルタイムに、そしてより自分の言葉でという事など思う。

例えば後者は大工道具などだ。
決して利便性の高い物ではないが、技術のある人が使うのと素人が使う場合は差が出るし、もしくは素人では扱えないものもある。

ではインターネットというものはいったい何が”目的”なのだろうか?
つまり、私は常に道具としてみているということだ。
そして、私個人はこれを非常に重要視している。

多くの人はネット、特にメールやHP、ブログなどはいったいなんで必要かを考えているのだろうか?
私はなくなればなくなったで全然かまわない。
その手段に窮する事はあっても、なんら生活に困ることはない。

ただの便利な道具であるから

その道具は生きていく上で必須のものではない。
だから別段インターネットがなくなっても仕事はいくらでもあるし、生きていく上で困るという事はない。
まぁ、仕事上は不利になるけど^^;;。

さて、この道具ということを当たり前と思って、しかも簡単ということに騙されていやしないだろうか?
個人的に日本で普及は早すぎと思っていた。
これは6,7年前から抱いていた危惧である。
といってもこのブログをいきなり読んだ方は「後付」と思うだろうが、それは証明のしようがないので、信じてもらうしかない。

そもそも「情報」というものをどうとらえるかというのは非常に大変な事だ。
きちんと独学なり、学校の授業などで「情報」というものを勉強しないと、目に見えない「情報の力」に飲み込まれると思う。
自分も常にそこは意識してるが、それでもたまに飲み込まれそうになっている。
あまり簡単だからと、やたら近寄るべきものではない。

本来はインターネットなどはきちんと”情報を知った者”同志で十分なはずで、そういった人達がやる分には炎上などはしにくいだろう。
ただ、しないとは言わない。
それが人間の”性”であるいじょうは。

そこで、やはり子供には、特に義務教育時にネットの情報は不要だと私は思う。
その情報は親や教師からまずは得る方法があるからだ。
それ以外に有用な場合もあるだろうが、親と一緒に見れば済むことだ。
一人で見なければならない理由がない

個人的に我が子にはその方針で行くつもりだし、かみさんが甘くて多少は見せるかもしれないが、基本的に一緒ならかまわない。

何度も言うが、道具である以上は本来「使い方」をマスターすべきだ。
そして、道具は使う人間によって、正しくも”間違った使い方”もある。
例えば包丁のように、正しく料理に使う場合と、人殺しの道具になりさがるように・・・。

  1. 2007/10/15(月) 14:38:05|
  2. 報道関連|
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今昔、イジメ比較考

【コラム・断】ことなかれ主義の悪

この際だからあえて言う。
イジメは昔っからある!

当たり前すぎる事だけど、どうも今しかみてない人が多い。
現代がとりまく環境とか、親子のあり方とか、学校、教師、地域・・・。
確かにいろんな要素は考えてみればでてくる。

そういった中で、昔からあるからなくならないという人もいる。
では、こういう人は”あきらめろ”というのだろうか?
弱肉強食が人の理(ことわり)なのだから、問題に取り組んでも無駄だというのであろうか?

あまりに局所的な発想しかしてないような気がする。
そもそもイジメの構造は昔と違うように思う。
形を変え、姿を変え、一言「イジメ」という言葉でくくってしまう。

そもそもイジメをされてる方に、イジメはなくならないからごめん、イジメられて下さいとでもいいたいのであろうか?

私も”られる方”も”する方”もあった。
もっともする方の時は意識はなく、その相手はもとイジメっ子だ。
だから、子供の価値観で天秤にかけたら「イジメられたからイジメていい」という発想があった。
が、すぐにやめた。
相手から「お前がやってる事は俺がしてたとの変わらない」
という指摘のおかげだ。
実際にはそのものに対し、暴力はふるっておらず、一般的な罪の量というものが存在すれば、自分はやられっぱなしに近い(笑)。
けど、言われて気がついた事は、その通りであり、虚しいと感じたからだ。

よって、する方としてはほとんど経験がないに等しいが、一時期確かにあった。

じゃ、られる方という人の気持ちがわかるかといえば、昔のイジメならわかったと思うが、今のイジメの構図が違うため、正直いってわからない。

昔は価値観の違いというよりも、「中途半端な常識」から逸脱するとイジメられる。
背が異常に高く感じる、逆もそう、太ってる、話が通じないなど。
比較的明確な”見える”ものでのイジメがほとんどだった。
けど、理不尽である事に変わりはない。

で、今のイジメは現場は知らないので、私が知りえる限りの情報をまとめると、単純に価値観の共有ができないものから、価値観に乗り遅れたものというなんとも意味不明な理由を感じる。

だから、誰がイジメられ、誰がイジメてるのか子供同士でもわからなくなり、常に緊張状態を強いられているように思う。
自分が”する方”だったはずが、いつのまにか”される方”に変わり、そこから逃げたくてまた”する方”になる。

つまり、気がつけばイジメをしてるのか、されてるのか常に状況把握を求められ、信じていた友達からあっさり裏切られる。
性格や見た目ではないのだ。

そうだなぁ・・・。あえて言うなら
場の空気に支配
されてるとでも言うのだろうか?

確かに昔からあるイジメ、今もなくならないイジメ。
これらを考えて比較すると、イジメてるいわゆる「イジメっ子」はいなくなり、常に流動してしまう。
その流動が固まると、対象が決まり、激しいイジメに変質し自殺まで追い込んでしまう。

この発想は正しいかどうかはわからない。
自分が知りえた情報を整理し、いろんな方面で自己検討した結果であるので、的を射てない可能性が高い。

でも、現状認識における足がかりだと思っている。

さて、別の方面で昔と今を比べてみよう。
いじめっ子という言葉は昔は確かに存在し、そのいじめっ子の中でルールがあった。
つるまない、怪我をさせない、節度を持つというものであった。
もっともこれは私の時代よりも前であり、いじめっ子の家庭環境を加味した分析である。
実際に、いじめっ子は、他校の生徒に自分のいじめる対象がイジメに合うとなんと助けるのである。

この時代は、いじめっ子が学校や家庭での理不尽な要求のはけ口だったということである。
そして評論家は未だにこの頃の幻想を抱いてる人もいる。

私の頃は、つるむけど嫌悪を持っていた。
一人でできない情けなさは心にありつつ、それを隠す感情の高まりをイジメに向ける。
多少の暴力はあるものの、やっぱり怪我は基本的にさせない。
痣程度であり、それも頻繁ではない。
そういった節度は多少なりともあった。

では今は?
明らかに問題になるケースは節度がない。
エスカレートしすぎばかりだ。
しかし、表面化してるからであり、裏ではその一歩手前のイジメは横行してるのではないだろうか?

先ほども書いたが、いじめっ子という存在はいない。流動的なイジメは常に行われていると考えた方がいい。

これは教師がダメなだけでなく、やっぱり親の環境が大きいといわざるを得ない。
そもそも、親が子供に簡単に愚痴をこぼし、社会をぼやき、マスコミに踊らされ、”情報処理”してないのである。
だから子供は価値観を育てる事ができない。
いや、正確に言うならば”自分だけの価値観”がもてない。
誰かの情報で自分の都合で取捨選択するまでできればいい方だ。
それすら人の価値基準を借りてしまう。
だから全て他人の責任なのだ。

親・社会・マスコミ
に責任転嫁が簡単に出来てしまう状況を作り出し、与えられる簡単さに満足してしまう。
そんな親を見て育ってる子供に、伝えるべき”人間”のあり方なんて伝わらないと思う。

だから子供も楽な、もっと楽なということで、しかも悪事の意識が希薄なままの価値観を「持ってしまう」のだろう。
みんながやってるじゃんなどの言動は、この考え方が定着してると思っている。

では、どうすればよいのか?
一番簡単なのは、日本在住の人を全て集団催眠で共通の価値観を持たせる事である。
「集団で一人を攻撃するのは”悪”である」
と・・・。
出来ないけどね^^;;。

現実的にはやっぱり教育の場で、これを徹底して教える事だろう。
攻撃対象が仮に悪い場合でも”集団で”攻撃してはいけない。
これだけで随分とイジメは現象していくのではないだろうか?

今の大人が共有できない以上、次の世代に教え込む必要を感じる。
その上で現状のイジメに対し、学校も常に「存在」してるとして行動すべき事柄であろう。

おそらく、この記事ですら一面を切り取ったに過ぎないかもしれない。
的を射ていれば、少なくとも我が子にはイジメる側になって欲しくないと伝える事は可能と信じたい。
果たしてその結果やいかに!?

  1. 2007/10/11(木) 11:36:53|
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盲点の発想だった

【正論】精神科医 和田秀樹 集団犯罪の一層の厳罰化を

久し振りに衝撃的な発想の記事をみた。
自分にはまさに盲点となっていたが、なるほど言われてみればその通り。
厳罰化がいいか悪いかは、徳を持って教育するのか、法律のみで対応するのかという点がからむため、安易な決め方はできないが、早急に必要な要素として、集団だから殺意が認められないというところは改めるべき事だろう。

私のように古い価値観も未だ持ちえている者は
一人でできる事の美学
がある。

昔は集団で行動することが「情けない」というものだった。
逆に、大きな悪に立ち向かう時、一人の力は弱いけど、協力して立ち向かうのは「勇気」だった。
勧善懲悪だった昔の話である。

ただ、どんな理由であれ集団で一人をおいつめるのは「悪」であるという価値観は今は存在していないに等しい。
例えば、遅刻をした人がいると、自分のことはそっちのけで、遅刻してない人同士で「遅刻はいけない」と攻め立てるケースがあるという。
つまり”自分の正義に於いて、反するものを律したい”欲求があるという事だ。

イジメもこの延長で行われるようで、どうやら
「自分の価値観を共有できそうな人同士で集まり、それに合わない、もしくは”乗り遅れた者”を自分達の理屈で律する」
というように感じる。
最近のイジメ番組などの教授などの意見は言わないが、子供達の声を聞くたびにそう思えている。

さて、最近の傾向で私が一番危惧してるしてるのは、情報社会における子供の無防備さと、新たな価値観構築を”やらない”人が増えた点。
ちょっとこちらのやりとりをしたBLOGを見て欲しい。
「反骨」的に言いますと「女だから・・・」に疑問アリ!?

こちらはいつもお世話になっているN.MiuraさんのBLOGです。
こちらでコメントさせていただいた私のところですが、

TV、新聞、ネットは心が見えない情報という事を忘れている人が多いようです。
自分の価値観も構成できないまま大きくなり、与えられた情報を自分で消化・加工せずに「持つ」。
だからすぐに他人の責任にしてしまう。


実はこれって本当に強く感じています。
こういった事が下地にあるから

自分と共有できる人間がネットで簡単にみつかる。だったら集めて集団化しよう!

という発想がでてくる傾向があるのかもしれないと考えた。

さらにその下地を正論では述べている。
つまり学校などの狭いケースでもすでに集団化による理性を超えた悪質な行動である。

教育の根本的な目的は、子供により豊かな未来を築く土台を与えることがあるはずだが、そういった目的は今はないのだろうか?
心で会話をしてくれる教師はいなくなったのであろうか?
いつのまに私達は、過去の素晴らしい価値観を捨てたのか?
いや、これはきっと違い、過去の素晴らしくない価値観として扱われたからだろう。

多種多様な価値観を認めるには、あまりに日本人は未熟なのではないだろうか?
まだまだお上がひっぱって教育をしていく必要があるように思う。
そうしないと愛国心って”言葉”だけを教えているだけにすぎない。
言葉も大事だが、そこに心はあるのか?

こういった事を考えないと、この集団化現象は増える一方と思う。

  1. 2007/10/05(金) 11:48:07|
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集団自決が今頃!?

教科書検定問題、「政治介入」政府迷走 太田氏発言に町村氏困惑

まぁ、安倍政権のツケというか、自由に勝手気ままに発言する癖でもついたのか?<公明党(笑)。

ま、それはさておき、この集団自決に関しては以前調べたところ
集団自決に関して思うこと
でまとめた。

結果から言えば削除は妥当がだ、書き足りないと思う。
そもそも現在の書き方では、軍人が見守る中で強制的にという印象はあると思うし、当時そういった授業だったと記憶してる。ただ、古い話で記憶の自信はないけど^^;;。
でも、今の文章を見たらどう考えても軍人は死なず、民間だけが強制的に自決させられたと思ってしまう。

それを、削除後はどうなったかといえば、これまた言葉足りずのため、民間人が勝手に自決したかに捕らえかねない文章なわけだ。

こういった事実と真実がかみ合わない歴史に対して、どう向き合うのか?
また、そういった価値観を教育として必要なのか?
そこ抜きに政争の具にしてるのは許せない
のである。
基本的に民主党なんだけどね・・・。

で、公明党の発言も同様で、こういった事に政治が介入するのはよくないと思う。
国際的な試みだって失敗してるし(日韓の歴史認識委員会など)、そもそも生活がかかわる部分を正確に伝える事は不可能だ。
つまり、その時代の背景と、自決という生臭さを伝えればいいわけで、それ以上は必要を感じない。

で、だ、昨日のTVで気になったのは沖縄の高校生が
「おじいやおばあが嘘つきだとでもいうのでしょうか?」
と感情論丸出しで訴えていた点だ。

少なくとも教科書から知りえる歴史の目的は愚かな事を繰り返さないことが重要なファクターだ。
何度も同じ過ちを繰り返すのは「愚の骨頂」という言葉が示すように、非常に問題あるわけで、感情論ではない。
もう少し冷静に歴史における必要な事は何か?
高校生くらいならわかるだろうと思うが、これは私が厳しい意見だろうか?

今回の文章で元に戻すのは私はやっぱり反対である。
ただ、追加するのはいいと思う。
高校生ならば、惨劇を惨劇のまま伝えてかまわないはずだ。
中途半端な一文で議論してる意味がわからない。

今後の日本は戦争をしたくないのだろう?
戦争はなくせいと思いつつ、その理想に向かって努力する国なのだろう?
ならば、こんな事でいちいち目くじらたてる内容ではないはずだ。
誰も君のおじい・おばあが嘘つきだとは思っていない。

真実はいらない、事実さえあれば歴史の役目は十分だ。

  1. 2007/10/03(水) 14:04:35|
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