じゅぁきのディープゾーン

NEWSからみた、一般的な生き方をしてる疑問点などを提起したり、逆に考えた結果など。 ちなみに文章になるとかたくなるのは、年齢的なもの?(笑)。

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赤ちゃんポストを考える

【主張】赤ちゃん受け入れ 慎重な取り組みが必要だ

気になるブログ
[「赤ちゃんポスト」の本義(赤ん坊の生死を勝手に決める奴ら)]
【赤ちゃんポスト】再び
根本的な問題とその解決方法
「赤ちゃんポスト」設置に対する政府関係者の発言に違和感を抱く

<自分の過去の記事>
赤ちゃんポストについて

今回の政府発言や、ネットに賛成意見が多いことなどは時代なのでしょうか?
何か浮世と現実がないまぜになった気がしてなりません。

基本的に賛成派の方の意見は集約されていますし、自分と同じ方向でしかも平行ではないんだなと感じました。
が、反対派の意見ってどうしてもわかりません。

そこで個人的にまとめてみると、賛成派というのは以下のように主張してると思います。

1.この先のことはともかく、今ある命を救いたい
2.救った命は後々の体制や状況でケースごとに考えればよい
3.それと同時に道徳心も必要

どうでしょうか?

トラックバックされていただいた方々の意見もだいたい同じような感じに受け取れました。
まぁ、言葉が違うのはご愛嬌という事で^^;;。

つまり反対派の意見である、

1.捨てる親を冗長する
2.道徳心を失わせる
3.子供の親権や法的な整備

が主な反対派の意見ですが、私達賛成派はそんなことは百も承知で、何度も書きますが

今ある命


をどうにかしたいと思ってるわけで、全然次元がかみ合っていないのかな?
と考えてしまいます。

つまり、失った命は戻らないという、あまりに当たり前な意識がなさすぎると思ってしまいます。
つまり命に希薄さが感じられてしまうんです・・・。
気のせいでしょうかねぇ?。
これってそんなに論議を醸し出す話なのか?
と疑問にすら感じてしまいます。

これが、設置はいいとして具体的に設置するにあたっての法整備や、政治の責任範囲などを議論して、喧々諤々ならまだわかるけど、そもそもの設置論でこんな問題化してること自体がおかしすぎます。

あえて別の話題ともからめますが、「障害者自立支援法」という悪法のおかげで進行形で苦しんでる人がいるのに、補正予算通してからとか、時期がきたらとか・・・。
今苦しんでる最中!
というのがどうして政治家はわからないんだろうか?

根底の意識が同じで、”今”と”未来”が不連続にしかとらえられない人たちの集まりにしか思えません。
この赤ちゃんポストもそうで、今戻らない命を救おうとしてるのに、どうして時間をかけて論議してる暇があるのでしょうか?
反対派も、反対してる間に失われる赤ちゃんは自分の子供じゃないから無視していいとでも思ってるようにしか聞こえない。

実は12月に書いたから、今度はもっと具体的な話になってると思ってました。
それが設置の許可って・・・、今頃?
っていうか、その間に赤ちゃんが親のエゴで捨てられてなくなった事実がないんでしょうね?
あったなら、それこそ人権擁護団体の人は国を訴えるべきですよ。
まぁ、本物の人権擁護団体がないのは聞いてますが^^;;。

また、設置病院は赤ちゃんの相談にのってきた実績がある病院と聞いてます。
TVでもやっていましたが、それでも救えない悔しさから設置にいたったと。

親の道徳心はこの際後でいいと思います。
救えるかもしれない命をほったらかすよりは。
だいたい、昔の政府は

「人の命は地球より重し」

と大嘘をついたではないか?
生まれた赤ちゃんは人ではないのか?
人と思うならば地球より重いんでしょ?


だったらつべこべいわず命を救え凸(▼皿▼メ)


あっ、本音がでた・・・。

ん、ん、とにかくですね、命の大切さを子供に教える立場としても何とか救うために政治家は一致団結して欲しいところです。

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  1. 2007/02/26(月) 16:00:31|
  2. 自民党|
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防犯と地域社会

全然無関係な話から関係性を持っていくので途中で読むのやめないでね♪(笑)。

今年の5月に「機動警察パトレイバー」がスロットの5号機で発売される。
これに関してはリンクしている”パチンコ屋の嫁”に行って詳しい事は読んでください(笑)。

で、パトレイバーと言えばロボット物でありながら、大袈裟に言えば世界中で読まれたマンガであろう。
しかしロボットというものの出現や、警察という観点からも実によくできている作品で、とてもロボット物だけに納まらない物語である。

で、だ、何でこんな事を書くかといえば、物語の中の後藤喜一という人物が終盤というか、最後の戦いの後に泉 野明に言うセリフが非常に的を得ているからである。
細かいセリフまわしは原作を読んでもらいたいから書かない(笑)。
それを要約すれば次のようになる。


そもそも警察というのは風邪薬と同じで、風邪をひいたと思うから飲むように、犯罪が起きたから警察が動く。
もし怪しいだけで逮捕できる状態にしちゃったら世の中住みにくくて大変である。


それを聞いた泉はそれでも警察という組織に打ち込む決意をする・・・。

そう、ここで注目してもらいたいのは
警察は犯罪が起きたから
という点である。
ストーカーなどの時に問題点になった事を覚えているだろうか?
あの時も怪しいだけでは逮捕できない。
何がしかの”犯罪”でなければという点である。

警察は常に”後始末”をするのが本来というのがパトレイバーで常に描かれている。
近年踊る~などもそういった影響を受けてか、警察という機構に疑問を投げているが、警察の絶対的基本条件が”後始末”である事に変わりはない。

もし、経過で逮捕できるなら、私達は常に監視され、不審者にさせられて逮捕されてしまう事にビクビクしながら生活しなければならない。
もっともストーカー法ができる事で、ストーカーが犯罪として認識される事で随分と変わったが、これだってストーカー認定の基準があるわけで”後始末”に変わりはない。

さて、では私達は事が起こるまで警察に頼れないという事になる。
そうなのだ、私達が警察を頼っていいのは犯罪に限るわけだ。
当たり前のように思ってるかもしれないが、これは以外に無意識下で勝手に警察は何でも屋のように思ってる人が多い。
報道でもよくそういった事を見る。

だったら私達は防犯を警察に依頼できないのか?
そもそも疑うだけでは警察に頼れないのか?
答えはその通り

さて、ようやくタイトルの本題に入る。
「防犯と地域社会」とつけた理由は次のように考えているからである。
1.先程までに書いた警察は防犯まで基本は手を出す事ができない。
2.昭和中期(40~60年代)の時代背景
これらを考察すれば見えてくる事がある。

1.に関してはすでに書いた。
よって2.の説明を書きたいと思う。

そもそも社会地域性は日本の文化なのだろうか?
そこだけがよくわからないが、一つに地域に学校を通したコミュニティが確実に存在していた。
一番の例は、クラスの顔見知り以外でも大人は子供に話しかけ、悪い事を注意していた。
よって、子供達は暗に監視されている誤解をし、勝手に正しい事を求めるようにしようとする。

また、挨拶は大人にしないとよく怒られたものだ。
引っ込みじあんな子でも、頑張って挨拶していた。
挨拶の仕方も個性があったりして、イタズラ坊主は憎まれ口をたたく。
しかし、そこの心が通っていれば、大人はそれで認めてあげていた。

こういった近所のコミュニティがあったから、新しい人が来た場合にすぐにわかる。
悪い言い方ではあるが、よそ者や新参者という事でわかった。
不審者と思われる人にも声をかける事で、おそらく防犯になっていたのだろう。

そう考えれば地域のコミュニティというのは機能していたと思われる事が数多い。
確かに面倒ではある、あるが、そこの機能が失われた今は、逆にもっと面倒な事になっているのではないだろうか?

つまり防犯というのは警察に頼らなくてもできるという事だ。
全部ではないけれど・・・。

地域社会の全てを肯定し、昔みたいになれとは言わないし思わない。
しかし、過去にあったいいものは取り入れてもいいと思う。
ただ、これは非常に難しい問題があり、地域に住む人たちが協力しなければ成り立たないのである。

たった一人が頑張って挨拶し、顔なじみを作ってみたところでたかがしれているし、そもそも挨拶を嫌う大人がいる。

今回書いたのはあくまで現状認識で、じゃぁどうすればよいのかという点が自分でも見つからない。
まさか法律で挨拶させるわけにもいくまいし、ましてや地域社会を無理やり法制化するわけにもいくまい。
となると、やっぱり教育の段階で子供にそういった事を教えておくしかないだろう。

もっとも、この考えだって時流に反している。
少数派のたわごとでしかないだろう・・・。

  1. 2007/02/22(木) 15:23:57|
  2. 子育て|
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日本は何を目指しているのか?

最近、NEWSや情報を目にするあまり、あまりにおかしな事に気が付く。
少子化問題は問題点がたくさんあるけど整理されてない状態。
個別に案件はあるものの、統一的な見解はない。

教育にいたっては日教組が問題なのは、現状では明白だろうと思える。
少なくとも「ゆとり教育」は失敗だったと結論がでているし、日の丸や君が代は国旗・国家だ。

そもそも教育の原点は何か?
はっきり言って誰も明確な回答はない。
つまり誰もわかっていない問題なのである。

防衛にいたっては核の論議すらダメなどと言論の自由を平気で脅かす輩まででてきている。
もし防衛しなくていい世の中なら、私自身が一番望んでる理想である。

政治の問題もさる事ながら、自分達の生活に目を向ければ、幼児虐待・いじめ・リストラ・最低賃金など、こちらもさまざまな問題が噴出している。
とくに生きるために働いているのか、税金の無駄遣いをさせるために働いているのか・・・。

さらに地域社会という事で言えば、大人の監視がない子供達はのびのび”悪行三昧”をする。
何かいえば人権などと抜かす。
こちらが真摯に接すれば暴力に訴える、いや傷害されるケースまである。

かと思えば法の抜け穴で何をしてもいいという輩が大人は続出。
もしくは見つからなければ何をしても許されると思っている。

昨日ちょっとコメントで書いたが、最近は私の考えが古く間違っているのか?
そう思ってしまう時がある。

社会というのはルールがある。
だから安心できるし、仕事もできると思っていた。
そのルールが尽く破られて行く。

また社会には道徳を持って恩返しするものと思っている。
教育してくれる先生、治安を維持する警察、また仕事をしてもらった中から税金で恩返ししてると思っている。
そのためにルール以上に自分に厳しくするために道徳があると思っている。
しかし現実には自由とわがままの違いすらわからない人が増えている。
これは個人的にも感じているし、報道にでる人たちにも感じる。

人は、人と人の間に社会を作り、そこを生きるから人間ではないのだろうか?
そういった互助があるからこそ笑って暮らせるのではないだろうか?
何か間違っているだろうか?・・・。

私は本来の平等と社会的な平等は分けて考えるべきだと思っている。
例えば本来の平等は人を生物学的にみたものだ。

・この世に生まれたものは確実に死を迎える
・次の世代は女性しかできない尊い出産

こんなもんしかないだろう。
これは摂理とも言うべき平等な事だ。
これを絶対原則といっても過言ではないと思うし、これに自信がないわけではない。

だが、社会的平等という点で自信がなくなった。
人はどういった死に方であれ死を迎える。
その死に方は社会的なルールで寿命を真っ当できるようなものがあると思っていた。
これが基本的人権であり、それを犯したものは犯罪者ではないのだろうか?
だから他人をむやみに殺したり、間接的に、または直接でもそうだが死に追いやる事は犯罪と思っていた。
しかし、現状でそういった認識がないとは言わないが薄れていないだろうか?

かなり前に万引きは許さないを書いた。
自分ひとりだけならとの思い上がりから、それが何十人、何百人が思ったら店の経営はなりたたない。
現に、それによる一家心中を知ってるだけに私は万引きすら許せない。

ところが現実に子供達はスリルとか勇気とか間違った言葉で万引きする。
いや、大人でも繰り返す人がいる。

政治もそうだ。
障害者自立支援法はむやみに一割負担を強いて、彼等・彼女等の生活を脅かしている。
かれらのなかで死を選択するものもいるだろう。

どうしてそんな事ができるのだろうか?
私には理解でないが、無知なのか、知ってるけど無関心なのか、理解できているのだろう。

個人的に自分の価値観を人に押し付けるべきではないと思っている。
しかし、人として、人間として社会のルールは共通の価値観にしなければいけないのではないだろうか?
だから、それを守るために道徳を身に付け、また教育するのではないのだろうか?

細かい、右・左、赤、鷹・鳩など私にとってどうでもいいことで、もっと根本的な原則が必要なのではないだろうか?
敵を作り、相手に憎悪を向け、自分は正しいと虚勢をはるのではなく、何故?、どうして?をもっと大切にし、自分のために社会に恩返しするという事ができないのだろうか?

といったところで、現実はこの考えを受け入れてもらえていないようだ。
時代の流れで流されてしまったらしい。
結局は少数派という事から私の考えが間違いになる日は近いのかもしれない・・・。

  1. 2007/02/21(水) 11:15:23|
  2. 小言|
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少子化という言葉の本質か?

【正論】山野美容芸術短期大学教授・中原英臣

個人的に少子化の問題点は政府にもあるが、多くは間違った認識のフェミニストによる情報操作があるとも思っている。
いずれにしても、誰が悪いわけではないが、みんなが悪いとも言える。

少なくとも、自分が父親になってみてわかった事、いや正確にいえばわかっていたが痛切に感じた事は、子供は本能で母親を求める事だ。
そんな子供の事を考えれば、3,4歳になるまで母親がつきっきりで面倒見ることのどこがいけないのか?
何故フェミニストの人たちはこれを否定するのかが理解できない。

就職や離職後の対策が不十分な事は確かにある。
が、社会的な地位向上と子育ては両立できるかといえば、それは本来が無理な話である。

子供もたくさん産んで、社会的地位も上にいって、お金も時間も手に入れて、休みたい時に休んで楽しみたい
ってバカかと。
そんな何もかも手に入れる生活がまかり通るのかと。

もし働きたいなら3世帯にするべきで、少なくとも母親代わりの祖母が必要だ。
嫁・姑が嫌だ、でも働きたいなんてわがまますぎる。

何度も言うが、男性は子供も産めず、本能でも母親に行くという事を考えてみてもらいたい。
これがどらだけ辛いことなのか女性は知らないのか?
そこを乗り越えた者だけが物心ついた時から父親に懐くのだろうが、その気持ちは無視されて、女性の思うままに論議されてる事がまず腹が立つ。

子育ては女性にまかせっきりで良いと言ってるのではない。
子供が必要な時に居てくれる安心感、本能で求める安らぎを奪うなといいたいのである。
これは男性がどう頑張っても、どうしようもないものなのだ。

まず、子供を産むに際しての心構えがあまりに希薄すぎる現状がおかしい思う。

しかし、女性が社会に進出するという点で、仮に同居していれば時間的な制約は3,4歳頃から減り社会進出する機会があるだろう。
その時に受け皿がないのも事実である。
有能な女性を個人的に見てるせいか、これは残念でしかたない。
女性だからという理由で職を奪うような事は愚かといっていい。
これに関しては育児休暇の3,4年を認めるや、その後に強制的に半年は男性が育児休暇を取る仕組みが必要であろう。

先に言うが、私は育児に参加するだけでなく、きちっとした話し合いまで必要と考えている。
常に妻とは意見交換をするようにしている。
また、育児は誰でも最初は初めてであり、手探りで自分達なりの育児を徐々に確立していけばよいと思う。
その時に先輩の意見を多く聞き、自分達の家族にあう方法を見つけていけばよい。
そう思ってるのが前提である。

しかし、今回の記事ではまた違った見方を教わった。
産婦人科や小児科の医師が激減してる問題である
自分の地域は幸いな事に小児科は結構あり、選択できる環境に身をおいている。
しかし、そうでは地域は非常に大変である事は用意に想像できる。
また、産科に関しても幸いな事に妻の産まれた病院が現存しており、ひとり目の子供はそこで産んだ。
今後二人目も予定してるが、おそらくそこになるだろう。

しかし、こんな恵まれた環境はおそらく稀であり、だいたいの人は病院の情報や、産後の小児科などの対応に苦慮してると聞く。
そういった話を聞くと、初めて医師の少なさを実感できる。

それにしても何故こうまでして産科や小児科を希望する医師が減ってしまったのだろうか?
これは教育の問題はあるんだと思う。
命のやり取りが少ない歯科は楽で儲かるからと希望者が多いと聞いたからである。
実際に町中に歯医者が溢れてるのを実感できる。
こういっちゃなんだが、楽に金儲けって言うけど、歯医者は楽ではないと思うし、評判がすぐに伝わると思うが・・・。

これに対して、手当ての拡充で政府は対応したが、結局医療の負担は我々国民からであり、最終的に何の解決にもならないという。
確かにその通りで、医師が増えない理由の根本をもっと的確にとらえる必要はありそうだ。
その理由がお金ならば、道路いらないから、そっちの予算を計上して欲しいとかがあるだろう。
っていうか、特別会計じゃないのか?<医師への予算・・・。
ここら辺は詳しくないのでなんともいえないが。

それから幼稚園や保育所が足りないという点もおかしい。
なんで少ないのかの原因がわからない。
儲からないからなのだろうか?
それとも預ける親に問題があるからなのだろうか?
ここはどういった理由があるのかの追求を見た事がない。

少子化を問題視する事が問題という人もいるが、現実的に子供を産む環境も整わず、産んでも整わずでは確かに産む気になれない気持ちもわかる。
しかし、いろんな事を我慢しても苦にならないほど子育てというのは楽しいし、嬉しいものだと思う。
まぁ、小学生や中学生になってないから言えるのかもしれないが。

その気になればなんとかなる!
そう思って産んでみるのはあまりに時代的にリスクが大きすぎる。
もっと気軽に産める環境と地域社会がないとダメなんだと思った記事でした。

  1. 2007/02/16(金) 11:54:55|
  2. 自民党|
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PCが動かない日々

現実的に泣きそうです・・・。
HDDがおかしくなったようで、かみさんの環境から壊れたようです。
そもそもXPにVMwareで環境別々がいいなぁと思っていましたがダメかも。
ログインを分けてもいいけど、結局面倒になるんだよなぁ。
できれば新しいPCが欲しい^^;;。

で、新しいHDDを買い、パーティションきってフォーマット。
OSを新規購入時のCDから入れたら、しばらくするとネットワークが切れる。
FTTHのルータから再起動しないとダメ。

変なメッセージがでるし。
[Stop Registry cleaner ...]
とかでてURLが表示される。
しらべたところメッセージスパムだそうだ。

こんな状態だからsp2もあてられない。
ソースネクストのウィルスセキュリティもネットワーク開通前に入れてみたが、ネットワークの構成ができない状態。

まさに踏んだり蹴ったりの状態。
っていうかさぁ、updateがネットのみってのが気に入らない。
もっともsp2をダウンロードしてとっておけばよかったと激しく後悔。

いや正確に言えば、ダウンロードのみってできるんだ(笑)。
知らなかったよ、ホント。

いろいろ調べたところsp+makerっていうので作成ができるらしいが、会社でCD焼く環境がない。
もっと言えば自分にはだけど^^;;。

そこで、相談したい人に相談したら、
「じゃ、元のCDと焼くCD持ってくればやってあげるよ」
と(*^▽^*) 。

いや~、神様に見えました!!
それにしてもパッチが多すぎると思うけど、Linuxの環境に真剣に移ろうと考えてしまいます。
WINDOWSは高いお金出して買っても、こんな時に役に立たないなんて思いもしなかった・・・。
問題はかみさんがWINDOWSしかわからないことだろうな・・・。
というか、現状は自分もわからないけど^^;;。

もうテンヤワンヤでPC騒動に早くけりつけて、いつもの通りの生活に戻りたいです!
いや、切実にorz。

  1. 2007/02/14(水) 14:29:28|
  2. 小言|
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私の理想の寿命とその終わり方

テーマとしては非常に面白いし、また自分なりに死というものをどうとらえるのか?
そういった死生観が反映されるのでしょうね?(笑)。

私は寿命を一応80歳前半を選びました。
あまり長生きしたくないですし、特にかみさんよりは先に死にたいです。
残されるのは嫌ですね。

今現在で心残りといえば、かみさんと子供以外ありません。
だからといって自分にやりたい事がないとかではなく、常に振り返ってみて後悔はできるだけしないように心がけているだけです。
だから、独身だったらいつ死んでもいいかと思ってました。
ま、それが寿命ならです。

終わり方はつい先日なくなった祖母を思い出します。
92歳にして、記憶も確かでここ一年は入退院を繰り返してましたが元気一杯歩き回っていて、最後は昼食をとった後に眠るように息をひきとったそうです。
誰も気が付かないようにそっと・・・。

私も常々そういった眠るようにというのが理想ですね。
しかも家か公園かで眠るように他界したいです。
まぁ、公園は迷惑か^^;;。

やっぱり、人が最高の幸せを感じれる瞬間って死ぬ間際だと思っているので、個人的に眠るように他界する時は、自分なりに「あっ行くんだな」と気が付くと思うんです。
その時にニッコリとして行きたい。
これが私の人生での目標です。

だから今はつらくても頑張れるし、そう思うから自殺も思いとどまれるし、いろんな理由がそこにはあって、ただ死ぬ間際は後悔なく死にたい。
そして苦しみもなく眠るように・・・。

おそらくこういった考えは誰でも共有できるものではないでしょう。
あくまで私だけの考えであり、誰かに否定されるべきではないと思っています。
だから私は他人がどういう死生観かは問いません。
ただ、社会のルールから逸脱した人は問題ありと思いますが。

こういうのって一人っ子だったせいかよく考えていました。
子供に先にいかれるのはつらいだろうなぁとか。
そして自分が親になって想像ではなく、実感としてあります。

さて、みなさんはこういったことを考えていますか?
それとも全く違うものをお持ちですか?
個人的にどれも正解で正しいと思います。

  1. 2007/02/09(金) 11:25:13|
  2. iMi|
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残業しないようにしむける努力は・・・。

【主張】労働時間規制除外 残業代以外も議論深めよ

う~ん、正直私には何がいけないのかがわからない。
というのも、プログラマーでもSEでもあり、違うといえば違うし、いろいろ業界を渡り歩いたので、基本的に残業しないようにしてきたから。

しかも、それが嫌で個人事業主になり、契約も残業してもでない月極だから、なるたけ残業しないようにしてきた。

そりゃ若いうちは残業して納期に間に合わせる事もあったが、基本的に月20時間の残業があるかないかだった。
だいたい企業も残業があたりまえで、その代金分を考慮してボーナスも含めた年棒を16ヶ月で割り、残業代を抑えるトリックを使うので、それが嫌いになった。
ただ、だからといって簡単に渡り歩くほど世間は甘くなく、勉強をして、人間観察も常に欠かさずにいる。

非常にリスキーな反面、お金はそこそこいい。

で、私は残業が大っ嫌いなわけで、ボーナスなんて信じてないからいいんですが、世の中を見渡すと生活残業してる人多くないですか?<コンピュータ業界に限る
だから、そういった働くほうの意識も問題あると思うなぁ。

特に最近の若い人たちは向上心が少ない。
ないわけじゃないけど、あきらめるのが早い、早い。
私なんかは悔しくて、悔しくてなかなかあきらめられないです、向上心的に。

やることやらずに権利を主張する人もいますしね^^;;。

そもそも、この業界は渡り歩くのに正当な理由があると認められると、スキルがあると判断されるので助かってます(笑)。
だから、嫌ならやめればいいと思うように勉強して勉強していけばいい。
現にそうやって私は来たわけで、それが出来ないという人の話はたいてい努力もなしに楽して残業しない方法とか、移れる方法とかを言う。

いや、決して自慢とか出来るからとかではなく、それだけリスク分散して、さらに勉強は絶対にするという意思さえあれば出来るはずなんです。
勝手にできないと決め付けている人、よくいます。

まぁ、なんでもいいけど、この法案より年金だよなぁ・・・。
なんだか50%割れの懸念だって。
まぁ、そう思っているから個人年金に15年入っているんだけど^^;;。

  1. 2007/02/07(水) 17:23:05|
  2. 自民党|
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もう一つの柳沢大臣の問題発言

全く報道もされず、また一般的に認知されていない障害者自立支援法。
そのやりとりでも大臣は失言に値することを平気でいってます。

今回はizaから多くのトラックバックをいただきました。
また、毎回阿比留瑠比様にはトラックバックをいただきありがとうござます。

いかにも小沢氏らしい日本論と菅氏の指摘
“産む機械”発言に女性はもっと怒れ!小沢氏いらだち
影響微妙?「柳沢発言」 考慮39%、愛知知事選
2地方選敗北でも進退「切り離して」 柳沢厚労相
前から申しあげている通り…柳沢氏が改めて辞任否定

まずは下記のURLでのやり取りを読んでいただきたいと思います。
どちらも衆議院議事録からです。
第2号 平成18年10月25日(水曜日)
ここで”駆け足”で検索した三井議員と柳澤国務大臣のやりとり

第3号 平成18年10月27日(金曜日)
ここで”郡委員”で検索した郡委員と柳澤国務大臣のやり取りを読んで下さい。

さて、この記事を読んでいただいて何が問題発言かわからない。
言いがかりか?
などと思われてしまう人も多いと思います。
実は普通に5体満足の観点でしか物事をとらえてないからそう思うのです。

ではどこが問題かを書いていきます。

そういう姿を見ますときに、自立というのは、身の回りのことをできるだけ人の手を借りないでやり遂げるということからスタートしているという姿を見てまいりまして、こういう格好で自立を進めていくんですよ、それで自立のレベルを上げていくんですよというようなことを見まして、自立というのは、本当に、まず身の回りのことを自分がやる、そして、その上に立って自分の意思でもっていろいろなことをやるようになっていく、そういうようなものがずっとスペクトルのように続いている話であるというふうに思いました。自立が、自分で所得を稼得するところまで完全にいくということしか自立じゃないというふうなことではない、一歩でも進むことを自立といって、それを支援していくことだというふうに、これは随分幅広く考えていった方が正しいのではないか。


まずはこの部分。
自分でみの回りの事ができるのが自立であるかのような言い分ですね。
ただ、ベクトルとして、そういった考えが根底にあることと言い直しています。
しかし想像して下さい。

百歩譲って自立が見の回りの事をしたいと願う、またそう努力しようとする場合を考えてみた時に、障害者として身体的四肢の場合に限ればこれは合っている部分もあります。
しかし、知的障害者や難病を生まれた時から持ってる人にとっては残酷な事なんです。
私はいとこに知的障害者がいるので、特にそう思います。
一般的に知的障害の場合はよくて10~12歳程度、通常は6~10歳くらいといわれているそうです。
そんな彼等・彼女等に対して身の回りを全てできるべく努力?
通じますか? 自分の幼少時代を振り返ってください。
これがいかに残酷、かつ障害者に思慮してない物言いかを。
知的障害者を持った親をしらなすぎる言葉です。
私はまずこの点はあまりに障害者に対する”悪気”は感じなくても”無知”を感じます。

さて、次に移りましょう。

私は、今委員がおっしゃられたように、それだけを別に自立と言ったわけではないんです。それをスタートとして、最終的には経済的な、所得の稼得というものもできるようなところまでを一貫して、その方向に行くことを自立の方向というふうに考えていると申したということでございます。

もうこうなると笑っちゃいます・・・。
いったい障害者をなんと思っているのか・・・。

まずは所得を取れるように支援したいと言っていますが、そんなの法案に書いてません!!
そもそも自立の定義すらない欠陥法案なんですから。

確かに稀有なケースから稀に変わってきた障害者の自立ですが、それは全て彼等・彼女等の努力によるもので、決して国や市が手を差し伸べたものではありません。
最後のおいしいとこ取りで議員が入るケースはありますが・・・。

もっと現実を知って欲しいのは、例えば事故などで体の障害を負った方は想像できるようですが、難病や知的障害などは議論の”障害者”から常に外れていることです。

今回の答弁でも、最終的には経済的な、所得の稼得というものもできるようなところまでを一貫して、その方向に行くことを自立の方向というふうに考えていると言ってるように経済的な所得は例えば腕が片方ないひと、足が片方ない、もしくは両方ない人が大臣の根底にあります。
その最大の理由は知的障害者に経済的所得はほぼありえません。
物を作るにしても当然いろんな知識が必要です。
私達は知らずにいろいろやっているんです。
本当に極々稀有なケースとして芸術面が生かされる場合もあります。
が、みんなが備わってるものではありません。
芸術面は健常者だって備わってない場合がほとんでしょう・・・。

ではどうやって経済的な所得を得るというのでしょう?

郡委員が言うように「ですから、言いますように、実態をちっとも把握なさっていないということです。現状をしっかりと見詰めていただきたいと思います。」の一言ですね。

-----------------------------------------------------------------
私は辞任はしかたなしの立場ですが、審議拒否は許せないとも思っています。
レベルの低さから言えば拒否の方が低いとすら思います。

ただ柳澤さんに限らず、障害者に対する認識や一般的な苦労は私達国民も知らされていません。
たまたま私は身の回りにいたり、自分も事故で不自由な生活をおくった時期があり、それがどれだけ精神的につらいかわかるつもりです。
その他に小学校時代にはダウン症の子と一緒に修学旅行に行って同じ班になったりしています。
だからこそこの欠陥法案を憎みます。

防衛も確かに大事ですが、毎日の生活で苦しんでる人を一刻も早く助けてあげて欲しいとも思います。
障害者は”人”であり”人間”です。
一分・一秒を争う中で生きているんです。

その法案を引き継いだとは言え、柳澤さんのような大臣では泣けてきます。
こんな事を報道する勇気もないマスコミも泣けてきます。
滝川クリステルさんが数度取り上げていましたが、視聴率から言えば微妙な数値です。

また、かと言って民主党はこれを政争の具にしてるのは見え見えです。
これはこれで非常に困ってしまします。

元々の柳澤問題発言である「女性は産む機械」発言でもわかるように、どう考えても彼の中には悪意はないんです。
今回の障害者に対する物言いも決して悪意はないんです。
それは私も理解してます。

しかし、言われた方は傷を負います。
謝ってすむ問題と言われれば、そういう人もいるのはわかります。
それでも私は彼には辞任していただきたい。
政治家としての思慮に欠けると思います。
あまりに無知すぎます、厚生労働省の大臣にしては。

しかし、現状では安倍さんが自立支援法を廃案にしてくれる気配はないし、民主党は全然バカやってるし・・・。
現在の状態では障害者は国民ではない扱いを受けてるにもかかわらず、知らされていない現実。

それでも、生まれた日本が私は好きです。
だからこそブログという手段しかないですが、訴えていきたいと思います。

  1. 2007/02/05(月) 16:36:38|
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